今となっては、何事もないようにバイクに乗っているが(若葉マークでヨロヨロではあるが・・)
振り返ってみると、原付さえ乗った事がないBが一念発起して、この年で(どの年かは明らかに
したくなけども)
6月某日、中型免許習得のため、教習所の門をたたく(出家か)
もちろん自動車免許は相当、昔に取っているので学科がない(その時まで知らなかったが)
適性検査や視力検査などあったが、そこは普通にクリア。・・この時はまだ、その後の地獄を知る由
もない。
その後、早速、実技。身長165cmのBは足つきには問題ない。起こすことも何とかできた。
きっと余裕・・なはず。
しかし早速、しくじった。
B「アクセルが動きません」 教官「手前に・・・・・」唖然。
アクセルを手前に回すのは、たぶん小学生でも知っていたかも。
そして、またがる。
そこから教官が発する言葉が日本語なのかさえわからなくなった。
ニュートラカラ、クラッチヲキッテイッソクニイレ、ハンクラカラツナグ、ソシテ、ニソクニ・・・
わからんがな・・全く意味がわからない。
両手足使うとか・・無理。
それでも、何とか動させるようになった。しかしギアチェンジしたくない(コース内はほぼ2速まで)
そんな始まりであった。
コース内でさえウインカーでなくクラクションを鳴らすのは毎回。停止さえままならなっかったが
一本橋に・・・・・これ最大の地獄。渡れるようになるまでの延長は思い出す度、自分がかわいそう
になる。
その後、どの課題でも問題を起こし、教官達を悩ませたものである・・・全てを回想するとあまりにも
残酷過ぎて・・(笑)
その頃イラストにしたものが↓
これには、笑われたものだが、何故か、Bより、いち早く
中免を取得していた職場の部下である20代男子は
「Bさんイラストの才能ありますね~」
たぶん、内容についてはコメントしてはいけないと
思ったはず。
そして親友はこっそり教習所にBの盗撮にも来ていた。(梅雨に季節であったため雨率が高く、汗だ
くで教習を受けていらことを思い出した)
そんなこんなで、延長料金の予算を大幅に超え、卒検を迎える。
3回は覚悟していた。
その日は大雨、仕事中、時間休をもらい制服のままカッパを着て望む。
3人で臨む。B]は一番最後であった。緊張で違う汗が流れる。
前の2人は難なくクリア・・合格間違いない。
そしてBの番がきた。
説明のあった通り大きく手をあげ「Bです。よろしくお願いしま~す」
と塔の上にスナイパーのように立つ試験官
に「撃たないで・・」ではなく
合図を送り確認作業をしてまたがる(ここまではバッチリ)
・・・すると背後にイケメン教官が
「Bさんまだです」
降りて、う
。なだれながら試験官の合図を待ってやり直す。
緊張MAX
発進しても心臓が可愛そうなほどバクバクしながら課題をなんとか
進める。しか~しコースを誤る。真っ白ではあったが停止して指示を待つ。
この待ち時間が功を奏したのか・・・・・
発着点に戻ることができた。
そう一発合格。中免一発合格したのである。
そして、中型自動二輪免許を習得したBは免許更新してすぐ大型の免許を取るべく、申し込みをし
たのである(この後の教習は更に涙なくしては語れないので改めて回想しよう)
そして、中型免許を手に入れたBは1週間も経たないうちにレンタルバイク店で
ニンジャ400を借りて500Kmの旅に出た・・これが日本縦断の序章だったのかな。
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